フランス国民美術協会展で日本人初の金賞・審査員賞金賞をダブル受賞(2014)、 天皇皇后両陛下が『紫舟』展に行幸啓される(2017)など、日本の伝統文化である 「書」の作品を唯一無二の現代アートとして発表している書家「紫舟」さん。「書」 を絵、彫刻、メディアアートへと昇華し文字に内包される感情や理を引き出す独特 の作品は海外でも高い評価を受けています。観る人の心を惹きつけ、書の世界を柔 軟に表現する書家「紫舟」さんに、お話を伺いました。
ご自身の書道の才能には、いつ、どのようにして気づきましたか?
小学生の頃、トップになるためには才能とセンスが必要だと思っていて、自分の才 能がどこにあるのか見つけるため、様々なお稽古ごとに挑戦しました。書道は、そ の一つでした。ですが実際には、そうして才能を自覚して書家の道を選んだという よりも、書家になるのだと気づき、今に至ります。
私にとって書は、ゆるぎない天職です。それでも毎日、当たり前のように書に必要 な高い集中力へ入るのは未だ至難の業で、簡単にはいきません。そのため、何年も 食事を節制し、規則正しい生活で節度をもった暮らしをしても、日々同じコンディ ションで書に向き合う難しさを、身に染みて感じるばかりです。ですから、書道の 才能やセンスはありません、努力はしています。
制作の日々のなか、紫舟さんは「自由」をどこに感じますか?
私にとって自由は「クリエーション=創作」の中にしかないと思っています。心の中にある感情の大きな波はコントロールしにくい。私はコントロールしていて常に凪の状態なのです。だから心の存在から開放されたら自由なのかなと思いますね。
私の場合、筆の先だけに集中したときには心の存在から開放されています。穏やかで平安で澄み渡る静寂の中に入り込むように…。高い集中力の中でクリエーションしている時だけは、私に自由が訪れている気がしています。
力強く惹きつけられる名作品の数々とインスピレーションの関係性について教えてください。
インスピレーションは降ってくると、よく言いますよね。私の場合は自分が持っているものと、外から入ってきたものが繋がっていくイメージです。講演を聴いて、普段自分が使わない言葉を多く浴びて思いを巡らし、アイデアを繋げたりする“浅いインスピレーション”もありますが“深いインスピレーション”こそが作品に導きを与えてくれます。
たとえば書が和紙や伝統から解放された【書の彫刻】が誕生したとき。帰りの飛行機で涙してしまうほどの大きな挫折を海外で経験しました。どん底に落ちたような思いから這い上がる過程で、この作品が生まれたのです。しかしこの方法はあまりにも苦しみを伴うものでした。
つぎに【浮世絵/春画シリーズ】という伝統文化を新しい切り口で再構築した新シリーズ作品。自分の中に生まれる感覚と外からやってきて繋がった言葉を、その時は何かわからなくても手を動かして形にしてく。そのなかでインスパイアされました。
いまは観察した気づきから洞察力を深めて答えを出すことで、導き出せるようになりました。【書のキュビズム】は「なぜ書はひと筆書きなのか?」という「なぜ」から思考を始め、文化への気づきや洞察を深め、哲学を生む過程で生まれた作品です。
挫折や苦しみからではなく、様々な経験から多様に深いインスピレーションを生み出していきたいと思っています。これからもインスピレーションと作品の可能性は無限に広がっていきます。
ライブパフォーマンスでは、ご自身と作品の空間をどのように保っていますか?
ライブの時は会場の空気をガラリと変えたり、近くだけじゃなく奥の隅にいる方にも感動してもらったりすることが大切だと思っています。
実は書道家として活動を始めた頃、何度もライブを行っていました。でもなぜかうまくいかない。うまく書けてはいるのですが観客の「感動」がそこにはありませんでした。
足りないものはなんだろうと考えたとき、どんなに実力がある人が綺麗に着飾って表現していても、小手先だけでやっていたら誰も感動しない。だけど新郎が新婦に下手でも一生懸命弾いたピアノ演奏は、心の底から感動するんですよね。これと同じだと気付きました。うまくなればなるほど、技術に頼ってしまいます。それは一見美しいように見えますが、ただそれだけなのです。
それから私がライブに出るときには、自分のなかを感動でいっぱいにしてから出るようにしています。「出てください」と言われ、そこでさっと出るのではなく、自分の中が感謝と感動でいっぱいになったら舞台に出る。それからは私のパフォーマンスでみなさんが感動してくれるようになったと感じています。
具体的にはどのような気持ちでライブに向かうのでしょうか?
ライブ前には、空間全体と隅々までの鑑賞者全員の意識と私の意識を同期させます。直前までそこに意識を配り、本番ではその意識を手放します。自分のやること、筆先だけに集中していく感覚です。
圧倒的な集中力は会場の空気を変えることができるのです。広い会場で私の集中力は筆先だけに向いているのですが、この細い筆先に鑑賞者の目を惹きつける「何か」が出てきているように思います。その「何か」を私は「キラキラ」と呼んでいます。この「キラキラ」が出ると、自分自身も輝いているようで、周囲の人が私と私の作品を観て感動してくださったり、涙を流してくださったりするのです。
また「書」を書くとき、自分ができることは全て行います。筆を持つ前に、紙にも筆にも「その言葉の恩恵が溢れ出る書が書けますように」と、集中力を高めてお願いするのです。
紫舟さんの作品は、制作の過程にいるはずのない観衆にも
制作過程で込められた想いや感情を伝え続けているように感じます。
作品の精度を高く保とうという想いからでしょうか。作家の想いが見る相手に全然違う通じ方をしていたら繋がりは感じないですよね。矛盾をなくさなければならないのです。
私は、日本の伝統工芸士や人間国宝と呼ばれる方々と本物の伝統美京都や奈良で一緒に作って学んでいました。「百聞は一見に如かず」という言葉がありますが、百回見るより、一回一緒に手を動かしたほうが、よりそのものの良さがわかるようになります。この経験から見る目が養われたのだと思います。
例えば、何百枚も書いた「夢」という字。自分が一番表現したい「夢」と表現した「夢」の字を一致させる目を持ったことで、観てくださる方により一層想いを伝え、つながることができる作品を届けられているのではなでしょうか。
紫舟さんの作品を通して今後どのようなことを伝えたいですか。
今、私の作品の根底に常にあるのは「日本の思想や文化を世界に発信したい」という想い。今後も世界に向けて日本の美しい伝統文化である「書」を私の作品を通して発信し続けたいと思います。
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