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農口尚彦研究所 - ❝能登杜氏の四天王❞の一人が追求する理想の日本酒とは

自分の理想とする日本酒を造り続けて70年以上﹑

農口尚彦氏は﹑現在も杜氏として﹑

築き上げてきた製法を次世代へ伝えようと奮闘している。

業界の変貌を見てきたレジェンド的存在に﹑日本酒造りにかける想いを聞いた。


1932年、石川県珠洲郡生まれ。祖父、父と二代続く杜氏の家に生まれる。16歳で山中正吉商店で修業した後、三重県の酒造屋などで修業を積む。複数の酒造会社で杜氏を務めた後、2013年に農口酒造の杜氏に就任。2017年に農口尚彦研究所の設立と共に杜氏に復帰した。

農口尚彦研究所の設立目的とは

農口尚彦研究所は、私の築き上げた日本酒造りの技術や精神を、次世代に継承するために設立されました。日本酒造りを極めたい若い人たちと一緒に仕事をしたい…。そんな想いがありました。


 なかでも私が一番こだわったのは、"麹のために湿度を完璧に調整できる部屋"です。 


最近では、酵素力価の数値にばかり拘った日本酒造りが増えています。しかし、私はやはり麹が日本酒の味の決め手となると考えています。麹の質がよくなければいけないので、いかによい麹を造るか、この課題を研究所の設備に反映してもらいました。


日本酒の風味である旨味や渋みは、酵素だけでは出てこないのです。私がこだわっている山廃造りには、麹は欠かすことはできません。その麹の質が左右されてしまう湿度をまず管理しようと考えました。この部屋では、米への水分調整が段階的にできるように設計されています。


もう一つ、ユニークな試みとして、お客様が日本酒をテイスティングできる部屋を作りました。これは「杜庵(とうあん)」と言いまして、茶室のようになっています。こちらではお客様が日本酒を楽しむことができます。お客様の感想を書き込めるノートを置いていますが、お客様の声を聞いてお酒造りに反映するようにしています。ここで私たちの日本酒造りにかける気持ちもお伝えできればと思います。若い熱心な蔵人たちと、これからも日本酒造りに励んできたいですね。


三度の引退を経て第一線へ復帰した背景は

 私は16歳で日本酒造りを始めて、65歳で定年するつもりでした。しかしお誘いがありまして、もう一度、自分の造った日本酒を一人でも多くのお客様に届けたいと、復帰させていただくことになりました。それまで築き上げてきた日本酒造りの技術と働く仲間との信頼関係が、復帰の理由です。周りの人たちからは、しんどい仕事を長年続けていると言われますが、「あなたの造るお酒は本当に美味しい」と言っていただけるのが嬉しくて、それを励みに日々頑張っています。


戦後廃れた「山廃仕込み」の技術を若い蔵人へ継承する


現在、当研究所では、乳酸を添加して造る速醸(そくじょう※1)と、自然の乳酸菌で造る山廃(やまはい※2)の両方の方法で日本酒を造っています。若い蔵人には、ぜひ昔からの伝統的な山廃造りをおぼえてもらいたいです。その方がお酒の味もしっかりしていて、落ち着いた香りも出せますから。日本酒の味がわかる人には、山廃造りの方が美味しいと言ってもらえます。


 他の製法に比べて山廃造りは、時間と手間がよりかかります。しかしその細かい作業一つひとつに「美味しい」と評価される理由があるのです。美味しいお酒を造るために必要な工程を、若い蔵人たちにも知ってもらい、お酒造りに愛情を持って取り組んでもらいたいですね。「日本酒造りを極めたい」という夢と情熱を持つ若い人たちに、伝統的な技術はもちろんのこと、仕事の楽しさも伝えていきたいです。


機械の進歩と共に理想のお酒造りを

 現代では機械が発達しているので、昔のように手間をかけなくても日本酒が造りやすくなっています。私は伝統的な山廃造りを次世代へ伝え続けていますが、一方で製造にプラスになる機械は使っていきたいと思います。


 また、日本酒造りについて、研究を重ねて分かってきたことも多くあります。麹や酵母が持つ酵素の働きによる味の変化についても、解明されてきました。日本酒造りを取り巻く環境がずいぶんよくなってきています。それは機械の進歩のおかげだと思います。新しい製造機器は積極的に取り入れていきたいですね。実際、2017年に復帰と同時に農口尚彦研究所を設立する際に、日本酒造りの精度をより高めるために最新機器の導入を希望しました。これからも理想とする日本酒を探求し続けたいと思います。


時代の変化やニーズに合わせたお酒を

 日本酒に適したお米の品種改良なども日本各地で行われるようになりました。一方で、消費者のニーズが変化してきました。屋外での肉体労働が多い時代には、濃い味の日本酒が好まれました。しかし現代では、冷房が効いた屋内で働く人が増え、ソフトな味の日本酒を好む人が多くなったと感じます。現代はワインなどのソフトな舌触りや味わいのお酒を好む人が増えています。輸入品のワインやその他のお酒も手軽に入手できるようになり、消費者のニーズが変化してきたのです。


 しかし日本酒の人気がなくなったというわけではありません。お酒業界全体の競争が増しているということでしょう。


 今後はより海外に目を向けて、日本酒を輸出していきたいと考えています。そのためには海外のお客様のニーズについて、もっと耳を傾けていかなければいけないですね。日本酒を通して、日本の文化に誇りを持っていただきたいと願っています。


読者へのメッセージ

 一人でも多くの方に美味しい日本酒を飲んでいただけるよう、この年齢でも一生懸命頑張っていますので、ぜひ、お楽しみいただけたら嬉しいです。


日本最高峰の醸造家と評される農口氏。ニーズの変化にも敏感で、技術の進歩も柔軟に取り入れている。伝統の中だけに生きるのではなく、常に技術や情報を更新し続けているのだ。農口氏が造る洗練された味に、多くの人々が魅了されるのも頷ける。卓越した技術と経験があり、消費者目線も忘れない。それらが日本酒造りの神様と称えられる理由なのかもしれない。


※1 有害な雑菌を抑えるために「乳酸」を添加する製法。酵母菌は酸性でも問題なく増殖し、酒母が完成する。最も現代的な製法で、特に記載がない限り大半の日本酒が速醸酒母で造られたもの。


※2 生酛造りから派生したもの。農口尚彦 杜氏の代名詞とも言われる製法。生酛造りのように蒸米と麹を物理

的にすり潰し溶かすのではなく、麹の酵素をあらかじめ浸出させている「水麹」を用いた製法。酒母造りに約4週間はかかり、手間と時間を要す。

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