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竹鶴のパイオニア精神を受け継ぎ世界を魅了するニッカウヰスキー

岸本健利社長

1959年生まれ。兵庫県出身。1982年にニッカウヰスキー株式会社に入社。2016年に代表取締役社長に就任。2016年4月から2019年3月まで日本洋酒酒造組合理事長を務めた。日本人の味覚に合うウイスキーを日本人の手で造ろうと、ウイスキー造りに情熱を傾け、のちに「日本のウイスキーの父」と呼ばれた創業者・竹鶴政孝の精神を受け継ぎ、ニッカウヰスキーの「品質第一主義」の酒造りを経営者の立場から守る岸本健利社長の視点に迫りました。


岸本健利社長
岸本健利社長

現場で学んだ8年間があって今の自分がある

幼少の頃の夢は大工だったという岸本さん。兵庫県瀬戸内海地方の自然豊かな環境で高校まで自由奔放に過ごしました。大阪大学工学部卒業後、ものづくりができる製造技術職の就職先を探していたとき、偶然出会ったのがニッカウヰスキー(以下、ニッカ)でした。


「自分を含め受験者は6人。選ばれるのは2人です。他の面接者を見回して自分は受からないと思ったので、記念にニッカの灰皿をもらって帰りました(笑)」と、面接当時のことを振り返ります。

入社後は山形県との県境の山奥にある、宮城峡蒸溜所へと配属。蒸溜所と寮以外はどこへも行く場所のない仙台の山奥で、岸本さんは毎日遅くまで蒸溜所に残り、ウイスキーをつくる現場にのめり込んでいったと言います。

「宮城峡蒸溜所での8年間をウイスキーづくりに没頭したことで、社内では『ニッカのウイスキー造りは岸本』とまで言われるようになりました。寮生活のなかで従業員の方々と親しくなって、たくさんのことを教わりました。あの8年間があったからこそ今の自分があります。」


謙虚な姿勢の中にも変わらぬウイスキーへの情熱を覗かせる岸本さん。育ててくれた寮生活には今でも感謝しているのだとか。


宮城峡蒸溜所

ニッカのパイオニア精神 

既存のウイスキーにとらわれず挑戦し続ける

1989年に酒税法改正があり、低価格帯のウイスキーの価格が高騰。ウイスキー離れが進み、市場の低迷期は25年以上も続きました。ニッカも他の企業と違わず、ピーク時に比べて6分の1まで出荷量が落ちた時期もあったのだそう。


ウイスキーの冬の時代が続き、先輩や同期、後輩の多くが辞めていきました。妻に「あなたはどうするの」と聞かれ、「俺はニッカと心中する覚悟なんだ。もし潰れたらごめんね、と答えた」と、辛い時代を振り返ります。


「ニッカへの愛は年々深まり、会社の再建方法を考えるようになりました。」

2001年に「シングルカスク余市10年」が、英国のウイスキー専門誌『ウイスキーマガジン』の「ベスト・オブ・ザ・ベスト(現:ワールド・ウイスキー・アワード(WWA))」で総合第1位を獲得。ジャパニーズ・ウイスキーが世界で認められながらも、国内でのウイスキー市場の低迷期は続きました。


経営は苦しく設備投資が難しい時代にも、ニッカは樽への投資をやめなかったと言います。


「蒸溜を休止した時もあり、閉鎖した工場もあります。そういった辛い状況下でも、樽への投資をやめなかったことが世界的に評価されるウイスキーを生み出すことができた背景にあります。創業者・竹鶴政孝の信念を忠実に守ったからこそ、10年後20年後に花開き、結果がついてきたのだと思います。」


穏やかな表情で語る岸本さんの言葉の端々には、ニッカへの熱い想いがこもっていました。



社員の幸せを第一に、ニッカをグローバルな企業へ

現在、国内外でウイスキーの売れ行きは好調で、市場も右肩上がりの成長をしています。とはいえ、この状況がいつまで続くのかは分からず、先は見えない中、2024年に創業90周年を迎え、創業100年を目前にしているニッカ。岸本さんは「品質を守りながら、新しいことに挑戦していかなければと考えている。」と決意を語ります。

「生産性の向上や収益力を見据えた経営を推進することは、もちろん大切ですが、ウイスキーの新しい価値を創造し、ウイスキーファンが是非とも買いたいと思う魅力的な商品を打ち出していくことも同様に大切なのです。それは常々社員に伝えています。」

そしてここ数年、ジャパニーズ・ウイスキーはフランスを中心に海外でも評価が上がっています。「今後の夢はニッカをさらにグローバルな企業にしていくこと」と岸本さんは話します。

「代表取締役社長になって私は、ウイスキー造りを支える社員の幸せを第一に考えています。企業が成り立つための要は、設備でもなくお金でもなく人です。社員のみんなが『ニッカにいて良かった』と感じてもらえる会社にしたいと思っていますし、私がこの立場にいる限りは、社員の生活を豊かなものにしていきたいですね。社員の幸せを第一に考えてこそ、世界に認められるような商品づくりができ、強い訴求力を持つ企業になると考えています。」

熟成に長い年月を必要とするウイスキー造り。日本の風土の中で独自の酒として進化を遂げたジャパニーズ・ウイスキーを守り育てたのは、前の世代から渡されたバトンを受け取り、ウイスキーと真摯に向き合い、次の後世に手渡してきたつくり手の努力によるものです。岸本さんの目には、つくり手の幸せを第一に考えることからニッカのウイスキー造りを担う、つくり手の精神が宿っていました。

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