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野田岩 - 江戸時代から200年 防空壕で戦火も守り抜いた秘伝のたれと技術の継承

2020年にミシュラン一つ星を獲得した「野田岩」の金本兼次郎様は、歴史ある老舗の味と技術を守り続け、美しくておいしい独自の鰻のかば焼きを作り続けています。昭和天皇も魅了した美しい鰻の味わいは金本様の技術と味への探求と研鑽の賜物といえるでしょう。


野田岩独自のこだわりと技術、「野田岩」のこれからについて語っていただきました。



野田岩は伝統の美しさを大事に。焦げない鰻を、自分の手を焦がす想いで。

野田岩5代目 金本兼次郎様

焦がさない鰻と技術へのこだわり

「鰻は間口が狭くて奥が深い」と昔から言われています。鰻 を裂くところから始めて、串を打つ。そして素焼きにして、 蒸して、タレを付けるところまで修業が必要です。簡単なよ うでセンスが試されます。今は 20 代から 40 代までの従業員 を僕の元に置いて、一挙一動を見て学んでもらっています。


鰻も人も十人十色。脂が乗っている物とそうでない物など、さまざま。そこを見極めたうえでの火加減や団扇の仰ぎ方な ど「焦げないきれいな鰻」を目指して技術を教えています。今では扇風機を使っている鰻屋もあるかもしれません。でも 団扇を使えない鰻屋なんてナンセンスです。一枚の鰻に角度 を色々変えて風を送ってあげることが野田岩の技術の一つと も言えます。


僕は生まれたときから生粋の鰻屋なので、鰻の香りに囲ま れて育ったようなものです。親が焼いている鰻を見て育ち、 伝統を築いてきました。美しい鰻を丁寧に仕上げることに 余念もありません。「野田岩」の鰻を召し上がっていただ ければ「自分の手を焦がす想いで焼いている」ことをわか っていただけると思います。


命の次に大事な秘伝のタレ

創業 200 年になる「野田岩」のこだわりは「秘伝の タレ」です。僕の親である先代は、「人は労働しな いとしょっぱいものを好まない」ということに着目 しました。江戸時代から続く秘伝のタレを時代の好 みに合わせて味醂や醤油の割合を変えて守り続けて きたのです。勇気のいることだと思いますよ。僕が 戦時中に東京大空襲に遭ったときも、「命の 2 番目 に大事にしろ」と言われて、その秘伝のタレを防空 壕の中で守りました。


我が家の近くには、昔から老舗の良いお店がたくさ んありました。我が家も繁盛していたけれど、所詮 小さな鰻屋だということを戦時中に思い知らされた 経験があります。近隣の老舗はチームワークがしっかりしていたことが、経営が盤石になったポイント だと昔から感じていました。60 年前、30 歳で「野田 岩」の暖簾を継ぐことになってからは、働いてくれ る人を集め、職人を一から育てていいチームを作ろ うと決めてこの店を守ってきました。



昭和天皇に愛された鰻へのこだわり

昔は天然の鰻だけを使っていたから 5 ~ 12 月の鰻漁のある時期 しか営業していませんでした。鰻漁のない冬場 2 ~ 3 月は休業し ていた時期もあるんです。高島屋さんには昭和 40 年に出店しまし た。そうすると天然鰻だけでは数が足りず、営業に穴が開いてし まうので養殖鰻を使うことになりました。


養殖鰻は主に静岡県の焼津産を使っています。ここは南アルプス からの伏流水が多くていい鰻が育つのです。水温が低くて、良い水質の中でじっくりと鰻が成長するので、旨味が乗った美味しい 鰻になるのです。


パリの店ではオランダ産の養殖鰻を使っています。20 年前には実 際に僕がアイルランドまで出向いて業者を探し、今でも付き合い があります。パリでも野田岩本店と味を変えていません。でもパ リでは鰻の蒲焼は、脂を落としているのでダイエットに向いてい ると言われています。


昔からいいものを提供しているお店では、日本を代表する上質な 器を使っているところが多いものです。「野田岩」では、美味し い鰻が合う器として、輪島塗の重箱を選んでいます。うちが輪島 塗を使わなくなったら終わりですよ、そのくらい重要です。


デパートに入っている店舗は休めませんが、土用の丑の日の野田 岩は休業しています。忙しいからと、前日に作り置いたり回らな かったりすることがあるでしょう。そうするとお客様に提供する 鰻の質やサービスが粗末になってしまうことがありますから。


弟子への投資と技術継承「生涯勉強」ミシュラン一つ星獲得するまで

以前友人と 10 年間ミシュラン獲得店を食べて回った経験がありま す。ミシュラン獲得店は店舗の造りや内装、サービスも素晴らしく、各段の差を感じたのです。これらの経験は僕の店づくりに大きな影響を与えました。


僕は常にいかに美味しく、美しい蒲焼を提供できるかを考えてい ます。わざわざ「野田岩」まで足を運んでくださるお客さんに満 足していただきたくて。だから「タレの味」「鰻の美味しさ」「美 しい蒲焼」を追求し続けています。ナンバーワンになるためには、他のお店と同じものを提供しているだけでは意味がありません。


弟子は私の宝です。弟子全員が輝くように教育指導していくのが経営 者としての役目だと思っています。古い弟子は 70 歳を迎えますが、今でも「ただ年を取るだけじゃ駄目だ、世の中から必要とされる人間に なれ」と言い続けています。お店をより良いものにするために、僕は 従業員に投資しています。経営者は自分の従業員を成長させるために、 まず投資しないと駄目だと思います。


そして時代はどんどん変革していくものなので「ただ鰻だけを見てい ては駄目だ」と弟子には伝えています。時代という大きな渦巻のよう な流れのなかで鰻も炭も変わっていきます。世の中の一流をたくさん 見て勉強してほしいのです。色々な所に行って、どんどん勉強して、情報をキャッチして欲しい。仕事をしているだけでは成長はないと思 っています。


今は孫の 7 代目を育てています。2020 年 11 月から教えていて、鰻を 裂けるようになりました。ある日「おじいちゃん、教えて」と孫が言 ってきてくれたことは本当に嬉しかった。最初はきちんとついてきて くれるか不安でしたが、とても頑張ってくれています。次は串を打つ ところを教えていくつもりです。


弟子として育ててきた皆が一丸となって野田岩を盛り立ててくれてい ます。自分のあとを歩いてくれる孫もまた、その一人になってくれる だろうと期待しています。自分がいなくなっても、孫の 7 代目を囲ん で「野田岩」が続いてくれることを願っています。


ミシュランと聖火ランナー

2020 年はコロナ禍もあって日本中が苦しい状況になってしまいました。その中でミシュラン一つ星を獲得出来たこと、 2021 年のオリンピックの成果ランナーに選ばれたことはとても名誉なことです。今はみんなコロナで気持ちも沈んでい て、オリンピックについては賛否両論ありますが、大いに元気づけたいと思っています。

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