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SATURNO(サトゥルノ)— グラフィティから高級時計へ、境界を越える創作

5 days ago
9 min read

スペインのコンテンポラリー・アーティスト、Saturno(サトゥルノ)に本誌が注目したきっかけは一枚の絵ではなく、独立時計師ダヴィッド・カンドー(David Candaux)とオンリーウォッチのために制作した「DC7 Genesis Piece Unique」だった。そこから見えてきたのは、映画、グラフィティ、ヒップホップ文化、職人技、アート市場を横断しながら、新しい領域へ進むたびに自らの出発点を消そうとはしないアーティストの姿である。


オンリーウォッチと「DC7 Genesis」


2021年、Saturnoは独立時計師ダヴィッド・カンドーとともに、デュシェンヌ型筋ジストロフィーの研究支援を目的とする国際的なチャリティーオークション「オンリーウォッチ(Only Watch)」のために、「DC7 Genesis Piece Unique」を制作した。D.Candaux × Saturnoは2021年の参加コラボレーションの一つで、このユニークピースはジュネーブのオークションで15万スイスフランで落札された。


この時計では、カンドーが時計そのものと機械構造を開発し、Saturnoが「Genesis」を主題とする文字盤をデザインした。さらに専用ボックスはSaturno自身が全面を手描きしている。12時位置には二平面式のフライング・トゥールビヨンを配し、その内部のテンプは30度傾斜する。6時位置には収納式リューズを備え、文字盤全体も装着者側へ3度傾けることで視認性を高めた。チタン製のムーブメントは189個の部品と28石で構成され、重量は24グラムに抑えられている。


Saturnoに求められたのは、完成した時計に単に絵を載せることではなかった。すでに強い個性を持つ機械構造の中で、自らの視覚言語を成立させることだった。数ミリ単位の設計が機能と美観の双方に影響する高級時計の世界で、彼の表現は新たな尺度を与えられた。


二人のクリエイター、ひとつの「Genesis」



この協働をさらに特別なものにしたのが、二人が出会う前から、それぞれ独立して「Genesis」という名の作品を考えていたという偶然である。カンドーにとって「Genesis」は、自身の原点、家族の継承、そして三世代にわたる時計製造の歴史を意味していた。一方、Saturnoの公式プロジェクト資料では、旧約聖書「創世記」3章15節の「女の子孫」という表現が着想源として示されている。


インタビューでSaturnoは、その背景に映画があったことも語った。制作中によく流していたのが、デヴィッド・フィンチャー監督の映画『セブン』だった。画面を見続けるというより、音だけを聞きながら描くことも多かったという。作品に登場する文学や宗教への言及をきっかけに、ダンテや関連する図像について調べるようになり、その過程で「Genesis」が自身のノートやスケッチへ入っていった。


「“Genesisをテーマに何かを作らないか”と言われたんです。僕は、“何だって? 今まさにGenesisをやっているところだよ”と答えました」


相手からテーマを与えられてから考え始めたのではない。二人は別々の道を歩きながら、出会う前に同じ言葉へたどり着き、そこから一つの作品をつくり上げていった。


同じ映画、違うスクリーン


巨大な壁画から腕時計の文字盤へ。極端なスケールの変化は、創作そのものを変えるようにも思える。しかしSaturnoの答えは明快だった。


「スマートフォンで映画を見るのと、映画館で見るのと同じです。同じ映画なんです」


彼にとって変わるのは、盛り込むことのできる情報量であり、創作の本質ではない。大きなキャンバスや壁面であれば細部を増やせるが、腕時計では主要な形が最初の一目で認識できなければならない。Saturnoはその考え方をロゴデザインに例える。まず中心となる形が明確に伝わり、近づいて見たときに初めて細部が現れる。高級時計の世界へ入るために「高級時計向けのSaturno」をつくったのではなく、変わったのは大きさであり、表現の根本ではなかった。


映画ポスターから生まれた視覚世界


腕時計よりはるか以前、Saturnoの創作の出発点には映画があった。幼い頃に繰り返し目にしたのは、映画館のポスター、VHSのパッケージ、ホラー映画、SF映画、アクション映画、そしてゲームセンターの映像だった。これらは彼にとって、構図、色彩、光を学ぶ最初の視覚教育でもあった。

7歳の頃、父親と映画館のロビーに立ち、壁のポスターを見ながら「大人になったら、これを作る人になりたい」と話したことを今も覚えているという。Saturnoは「画家は、自分が見てきたものを描く」と語る。山を見続ければ山を描き、ペンギンを見続ければペンギンを描く。彼が見続けたのは、怪物的な造形、強い逆光、鮮烈な色彩、一瞬で人の視線を引きつける映画のイメージだった。


作品に登場する異形の生物や幻想的な造形について語るとき、彼の関心は「怖さ」そのものより、その背後にいる作り手へ向かう。コンセプトアーティスト、彫刻家、人形制作者、機械仕掛けの特殊造形を担う技術者など、デジタル映像が主流になる以前に、手と素材、機械によって映画の幻想世界を成立させた人々である。

「僕にとって、一つのイメージの背後には、そのすべてが存在しています」


この感覚は、高級時計との協働にも自然につながる。映画の特殊造形と機械式時計はまったく異なる分野に見えるが、完成した表面からは見えない膨大な技術と人の手が価値を支えているという点で共通している。Saturnoが惹かれているのは、見えるものだけではなく、それを可能にした技術と人の存在なのである。


ラベルを越えて — グラフィティ・ライターとコンテンポラリー・アーティスト



Saturnoという人物を理解するうえで最も興味深いのが、自分自身をどう定義するかという問題である。現在の肩書きを尋ねると、彼は「コンテンポラリー・アーティスト、あるいはネオ・コンテンポラリー・アーティストと呼ばれるほうがしっくりくる」と話した。そこには市場に対する現実的な認識がある。「グラフィティ」という言葉が、今なお違法行為や器物損壊のイメージと結びつけられ、作品を見る前に特定のカテゴリーへ分類される場合があるからだ。


「自分はストリート・アーティストというより、むしろグラフィティ・ライターに近いと思っています」

ここでいうグラフィティ・ライターとは、単に街頭で絵を描く人ではない。自らの名前や文字を書くことを起点に、ヒップホップ文化の歴史や内部のルールを共有する実践者を指す。Saturnoは10代でグラフィティを始め、DJやブレイクダンスも含むヒップホップ文化の中で活動してきたと振り返る。彼にとって「コンテンポラリー・アーティスト」は現在作品が置かれる職業的な位置であり、「グラフィティ・ライター」は自分がどこから来たのかを示す文化的な自己認識である。


彼が手放したいのはグラフィティそのものではなく、一つのラベルで作家全体を説明されることである。現在はキャンバス作品、大規模な壁画、依頼制作、異分野との共同制作へと活動を広げている一方、友人と外へ出て、商業的な目的とは無関係に描くこともある。彼はそれを、プロのサッカー選手が週末に友人とボールを蹴ることに例える。職業として価値を持つことと、好きだから自由に行うことは両立するはずだという考えである。


同時に、Saturnoは市場の論理も理解している。高額な作品を購入したコレクターが、その作家が別の場所で無償で描いている姿を見れば、価値の捉え方に戸惑う可能性があることも知っている。彼はその緊張を否定しない。現代のアート市場へ入りながら、その市場に自分の過去まで書き換えさせないのである。


アーティストはブランドであり、歴史でもある



Saturnoは、アーティストと市場の関係についても率直だ。


「アーティスト一人ひとりが、一つのブランドだと思っています」


しかし、彼にとってブランドとは外側のイメージだけでは成立しない。作品を所有するということは、目の前の絵だけでなく、その作品を生み出した人間の歩みまで含めて受け取ることだと考えている。


「僕にとっては半分が技術、もう半分がその人の歴史です」


技術は重要である。Saturnoは、確立したスタイルに安住せず、毎年少しでも自分を更新していく必要があると考える。しかし技術だけでは作品のすべてにはならない。映画、グラフィティ、ヒップホップ、長年の制作、選択や失敗。その積み重ねが、最終的に一つの作品へとつながっている。新しい市場へ進むために過去を消す必要はない。Saturnoにとって、その過去そのものが作品価値の一部なのである。


AIが再現できないもの


人工知能についての考え方も、この延長線上にある。SaturnoはAIを単純な脅威とは見ていない。むしろ、容易に再現できる技術と、一人の人間にしか形成できない創作との違いをより鮮明にする存在だと考えている。

「自分だけの特別なものを提示できなければ、消えてしまうと思います」


AIはすでに複雑な幻想的イメージを短時間で生成できる。技術的な制作能力そのものに価値の中心が置かれている仕事には、今後さらに大きな変化が起こるだろうと彼は見る。しかし、そこで再び出てくるのが「歴史」である。


「AIは何でも真似できます。でも、その背後には何もない。ただのパッケージです」

未来のアート市場が実際にSaturnoの予測通りになるかどうかは分からない。ただ、彼の考え方には一貫性がある。表面的な技術が複製されやすくなればなるほど、人生経験、文化的な背景、判断、そして長年積み上げてきた方向性の価値は、むしろ高まっていくという考えである。


創作の自由と、生きていくための現実



ブランドや市場について現実的に語るSaturnoだが、彼が求める創作の状態は驚くほど単純だ。

「僕は、描くことが好きだから描いています」


彼が嫌うのは、制作を始める前から「これは売れるだろうか」「こちらのほうが好まれるだろうか」と考えなければならなくなることだ。もちろん、アーティストも生活しなければならず、制作を続けるには収入も必要である。Saturnoはその現実を美化しない。難しいのは、経済的な事情がすべての創作判断を決めてしまわない場所を守ることだ。


そこに、Saturnoの歩みを貫く一つの軸が見えてくる。グラフィティの壁からキャンバス作品へ、映画から生まれた幻想的な造形から「DC7 Genesis」の数センチの文字盤へ。彼の歩みは、一つのアイデンティティを捨てて別のアイデンティティへ移った歴史ではない。複数の世界を積み重ねてきた歴史である。

Saturnoは「グラフィティ」というラベルの制約からは自由になろうとする。しかし、自分の中のグラフィティ・ライターを失おうとはしない。アーティストがブランドになることを認めながら、その背後に人生がなければ意味がないと考える。「DC7 Genesis」はSaturnoを独立系高級時計の世界へと導いたが、その時計が示した本当の意味は、その先にある。新しい世界へ入ることは、それまでの自分を消すことではない。


Interview: GEN DE ART × Saturno

Interviewer: Olivia Matsumoto

Date: 5 September 2026

 
 

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