映像の再構築:ART OSAKA 2025と現代における映像表現の力
- Gen de Art
- 6月23日
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2025年6月、日本を代表する現代アートフェア「ART OSAKA 2025」が盛況のうちに幕を閉じた。2025年大阪・関西万博と開催された本フェアは、重要文化財である大阪市中央公会堂を舞台に展示規模を拡大し、特に新たに導入された「映像プログラム」が注目を集めた。この試みは、映像メディアを現代美術の対話の中心に再配置する、野心的かつ先鋭的な企画であった。
映像プログラム「〈うつること〉と〈見えること〉—映像表現をさぐる:60年代から現在へ」では、日本における実験映画、ビデオアート、視覚的ストーリーテリングの歴史とその現在を多角的に捉え直す貴重な機会となった。キュレーションを手がけたのは、梅津元氏。MEMの石田氏の協力のもと、ジャンルやメディウム、知覚の境界を問い直す創造の系譜が描き出された。

歴史と対話する舞台
上映会の会場となったのは、大阪市中央公会堂 大集会室。ヘレン・ケラーやミハイル・ゴルバチョフらも登壇した由緒ある空間で、本プログラムは単なる映画上映の枠を超え、文化的な省察の場として機能した。一般公開(無料)で行われたこの企画はフェア全体との連携も図られ、観客に「見る」「感じる」「考える」ことの意味をあらためて問いかけた。
上映プログラムはA〜Dの全4部構成で、戦後アヴァンギャルドから現代の映像表現、アーカイブ映像に至るまでを網羅。単なる回顧にとどまらず、過去と現在を接続する「場」として作用した。今日のアートにおける映像の役割、そしてその未来はどこへ向かうのか——その問いこそが本企画の核心であった。
『テクノテラピー』特別上映会
とりわけ大きな注目を集めたのが、『テクノテラピー』特別上映会である。1998年に大阪市中央公会堂で開催された体験型アートイベント「テクノテラピー:」の記録映像をもとに、岸本康監督による2本のドキュメンタリー作品が上映された。
上映後には森村泰昌氏をゲストに迎えたトークセッション「テクノテラピーとは何だったのか?」も行われ、当時の美学的・思想的背景への理解が深められた。
映像表現の未来を探るプログラム構成
それぞれ異なる角度から映像表現を検証する構成は、以下の通りである:
• プログラムA「キカイデミルコト」
日本の映像芸術の黎明期を支えた飯村隆彦、久保田成子、松本俊夫らのインタビューを収録したドキュメンタリー。
• プログラムB「映像の到来」
「KIRI」や「HELIOGRAPHY」などを通じ、映像がいかにして芸術表現として立ち現れたかを考察。
• プログラムC「表現の探索」
村岡三郎・河口龍夫・植松奎二(共作)や白井美穂らの作品を通して、美術家たちによる映像の詩的実験を提示。
• プログラムD「来たるべき映像表現」
身体性・再帰性・デジタル性を軸に、映像の未来的可能性を探った。
いずれの構成においても、通底していたのは「私たちは、いかに見られ、見ているのか?」という視覚経験の根源的な問いであった。
6月7日に開催されたシンポジウム「うつる像/見える像―映像表現の在処」では、香港M+キュレーターのユランダ・ブレア氏や台北芸術大学の教授らを迎え、アジアにおける映像芸術の現況と国際的文脈を多角的に掘り下げた。
ART OSAKA 2025における映像プログラムは、映像というメディアの潜在力を再起動する試みであると同時に、身体・記憶・空間が交差する文化的実践の場であった。大阪という都市における静かだが力強い文化的関与のかたちは、フェアという枠組みを越えた芸術の可能性を提示していた。
1918年に竣工された大阪市中央公会堂は、市民文化の中核として長年にわたり機能してきた歴史的建築物である。今回の上映企画は、この場が内包する「記憶」と「現在」を重ね直す実験的試みであり、「テクノテラピー」や多様な市民イベントが展開されてきた文脈に、新たな芸術的位相を加えた。
上映という行為そのものが、建築の記憶と交差し、観る者の身体感覚に新たな層を加えていく。映像はスクリーンを超え、空間へと拡張され、観客の感覚を呼び覚ますメディアとして再生された。

映像が切り拓く未来へ
ART OSAKA 2025の映像プログラムは、マーケット性を持つアートフェアにおいて、表現の深度と公共性の共存を目指す稀有な試みであった。国際的視座、歴史的回顧、そして未来への提案が有機的に交錯する構成は、今日の芸術実践において特筆すべきものである。
映像というメディアは、かつての実験精神を受け継ぎながら、今あらためてアートの前線に立っている。それは単なるノスタルジーではなく、記憶と現在、そして来るべき想像力を繋ぐ、詩的で実践的なまなざしである。
