堀賢一|ヴィンテージの先にあるもの
ブルゴーニュ、日本のワイン文化、そして知を伝える仕事
取材・現地記録:Olivia Matsumoto | 2026年10月17日・東京

編集部より
2026年10月17日、GEN DE ART Le Magazineは、東京・青山のアカデミー・デュ・ヴァンで開催された、堀賢一氏によるブルゴーニュワインの講座を取材した。講座の様子を記録するとともに、堀氏への個別インタビューを実施し、これまでの経歴や日本のワイン市場の変遷、ワイン教育への取り組みについて話を聞いた。
この日の講座では、堀氏が自身のセラーで保管してきた1996年ヴィンテージのブルゴーニュ赤ワイン7銘柄を比較試飲した。参加者は銘柄を伏せた状態で試飲し、自らの印象を記録した後、意見を交換した。銘柄が明かされた後、堀氏は地図や歴史資料を交え、畑の条件や栽培・醸造上の選択を解説した。
感覚による観察と、その後に得られる歴史的・技術的情報を区別して考察を進める構成だった。ヨーロッパと日本の文化を取材するGEN DE ARTにとって、ブルゴーニュのワイン文化が日本でどのように研究され、伝えられているかを知る機会にもなった。本記事は講座の現地記録と個別インタビューをもとに構成した。
1996年、7つのグラス
東京・青山の会場で、参加者の前に7種類のブルゴーニュ赤ワインが並んだ。すべて1996年ヴィンテージである。受講者には事前に6銘柄の名前が伝えられていたが、供出される順番は明かされていなかった。残る1銘柄「ワインX」の正体は伏せられていた。ワインは堀氏が自身のセラーで保管してきたコレクションから選ばれたものだった。
参加者はまず各自で色調、香り、味わい、熟成状態を確かめた。その後、観察結果や銘柄の推測を発表し合った。植物的なニュアンスに注目する人もいれば、果実の熟成感を指摘する人もいた。ボトルの状態を疑問視する意見も出た。これらは参加者の発言であり、堀氏の評価として引用するものではない。
意見交換の後、銘柄が明かされた。6番目はドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティのエシェゾー1996年、7番目はドメーヌ・ルロワのニュイ・サン・ジョルジュ オー・ザロ1996年。正体を伏せた「ワインX」は、コート・ド・ボーヌのドメーヌ・デ・コント・ラフォン、ヴォルネイ・サントノ・デュ・ミリュー1996年だった。
銘柄の発表は試飲の終点ではなかった。堀氏は地図や歴史資料を用いながら、各ワインが生まれた畑の位置、土地の来歴、栽培や醸造の方法を説明した。グラスの中の印象を、ブルゴーニュの土地と生産の現場へと結びつけていく講義だった。
北海道からワインの世界へ
堀賢一氏は1963年、北海道古平町に生まれた。近隣の余市町はウイスキーの生産地として知られるが、堀氏がワインに興味を持ったきっかけは大学時代の飲食店でのアルバイトだった。

今回のインタビューで堀氏は、店で働くうちにワインへの関心が深まり、大学の休暇を利用してフランスやイタリアを訪れるようになったと振り返った。欧州のワイン文化に直接触れる経験は、その後の仕事につながっていく。
卒業後はニッカウヰスキーに入社。地元とのつながりに加え、同社がフランスワインを扱っていたことも選択の理由の一つだったという。ニッカには約7年半勤務した。
その後、カリフォルニアのワイン産業を代表する団体、ワイン・インスティテュートに移り、約24年間にわたって日本でのカリフォルニアワインの普及に携わった。ワイン・インスティテュートは教育機関ではなく、カリフォルニアのワイン産業を代表する業界団体である。

日本のワイン文化の変化
インタビューでは、1998年前後の赤ワインブームを含む日本市場の変化についても話が及んだ。カリフォルニアワインの普及に長く携わった堀氏は、生産者や産地を日本の消費者に紹介する仕事の現場にいた。
その中で堀氏が触れたのが、レストランの役割だった。小売店で購入する一本と、料理やサービスとともにレストランで出合う一本では、消費者の体験は異なる。ワインリストや食事の場での説明は、まだ知られていない生産者や産地への入口にもなる。
堀氏の話から浮かび上がったのは、市場の拡大という数字だけではなく、ワインが人に紹介され、理解されていく具体的な過程だった。消費者の関心が変化する時代に培われた経験は、現在の教育活動を考えるうえでも一つの背景となっている。
ブルゴーニュという土地
この日の講座の中心には、ブルゴーニュの畑そのものがあった。堀氏は、個々の畑の名称が地域のワインを理解するうえで持つ意味を説明した。ボルドーではシャトー名が識別の中心となることが多い一方、ブルゴーニュでは一つの畑を複数の生産者が分け合い、その畑の名が独自の存在感を持つ。
クロ・ド・ヴージョ、ボンヌ・マール、リシュブール。それぞれは単なるラベル上の名称ではなく、特定の位置と歴史を持つ土地を指している。同じ葡萄品種を栽培していても、畑の条件や生産者の判断によって、ワインの表現は異なり得る。
ジュヴレ・シャンベルタンのクロ・サン・ジャックについては、地図と歴史資料を用いた説明が行われた。堀氏は斜面の向き、地形、空気の流れなどが葡萄の成熟に関わる可能性を解説し、葡萄樹の健康状態や土壌管理にも言及した。
ボンヌ・マールでは、畑の内部に見られる土壌条件の違いや、ジョルジュ・ルーミエの取り組みが話題となった。さらに、求める品質に達しない葡萄やワインを生産者がどう扱うかという判断にも触れた。品質を優先する選択には経済的な負担が伴う場合もある。こうした現実的な条件を含めて、ワインを生産の背景から捉える説明だった。
1996年の7銘柄を比較する
試飲に用意されたのは、ルイ・ジャドのジュヴレ・シャンベルタン クロ・サン・ジャック、オスピス・ド・ボーヌのクロ・ド・ラ・ロッシュ キュヴェ・シロ・ショードロン(ルー・ペール・エ・フィスによる熟成)、メオ・カミュゼのクロ・ド・ヴージョ、ドメーヌ・デ・コント・ラフォンのヴォルネイ・サントノ・デュ・ミリュー、ジョルジュ・ルーミエのボンヌ・マール、ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティのエシェゾー、ドメーヌ・ルロワのニュイ・サン・ジョルジュ オー・ザロ。すべて1996年である。
4番目のコント・ラフォンは「ワインX」として登場した。他の6銘柄の名前は事前に伝えられていたものの、どのグラスがどのワインかは分からない。さらに「ワインX」だけは、銘柄そのものが明かされていなかった。
ブラインドテイスティングでは、3番目のメオ・カミュゼのボトルについて、コルク由来の異臭がある可能性を指摘する参加者が複数いた。これは当日提供された一本についての意見であり、生産者やヴィンテージ全体の評価ではない。
6番目のDRCと7番目のルロワについては、香りや色調の違いが議論された。DRCに植物を思わせるニュアンスを感じたという意見があり、ルロワには果実の熟成感を見いだす声があった。ルロワの比較的淡い色調にも関心が集まった。
銘柄が明かされた後、堀氏は全房発酵と除梗発酵の違い、梗がワインの色調に与え得る影響について解説した。さらに浸漬や樽の使い方など、醸造方法の違いにも話が及んだ。ただし、一つの香りや色調だけで特定の醸造方法を断定できるわけではない。技術的な説明は、先の観察を改めて検討するための材料となった。
熟成したワインの抜栓やデキャンタージュも話題となった。収穫から約30年を経たワインでは、一本ごとの状態も体験に影響する。同じ年に生まれた7銘柄であっても、畑、生産者、醸造、そしてボトルの状態に目を向ける必要があった。

ワインを理解し、伝えるという仕事
堀氏は2007年からアカデミー・デュ・ヴァンで講師を務めている。著書には『ワインの自由』『ワインの個性』などがあり、ワインを題材とする漫画『ソムリエ』『ソムリエール』などの監修にも携わってきた。
この日の進行は明確だった。参加者はまず自分の感覚で観察し、互いに意見を交わす。その後で銘柄を知り、畑の歴史や栽培・醸造方法の説明を受ける。最初から生産者の名前や評価に頼るのではなく、自分の判断を出発点にする構成である。
明かされたラベルの情報は、それまでの印象を消し去るものではない。地図や歴史資料、技術的な説明が加わることで、最初の観察を別の角度から考え直すことができる。
講座の終盤にも、堀氏は発酵、熟成、生産者による方法の違いについて質問に答えていた。7銘柄の名前はすでに明らかになっていたが、議論は続いていた。ワインの名前を知ることと、その背景を理解することは同じではない。その違いを考える時間が、この日の講座にはあった。
取材資料
一次資料:堀賢一氏への個別インタビュー(東京、2026年10月17日)、アカデミー・デュ・ヴァンでの講座取材・現地記録(同日)。
公式資料:講座案内 https://www.adv.gr.jp/curricula/detail/17348 / 堀賢一氏講師プロフィール https://www.adv.gr.jp/teachers/detail/67
取材者プロフィール
松本オリビア|Olivia Matsumoto International Editor & Cultural Documentarian
国際誌『GEN DE ART Le Magazine』の創刊編集長として、芸術、科学、文化遺産、国際社会など幅広い分野の取材・編集に携わる。現在はフランス・ブルゴーニュ地方のVosne-Romanée Culture & Arts Centerの創設者・ディレクターとして、地域の歴史や文化遺産の記録・継承、日欧文化交流に取り組んでいる。
Vosne-Romanée Culture & Arts Center
Instagram: @vosneromanee_artcenter


